「浮きあがって見えるアバラ骨って、きれい……」
あるとき、そう思った。
思ってしまった。
きっかけは、
ファッション雑誌で見たモデルさんの写真。
彼女はそのとき、20代前半。
「自分がどう見えるか」が、
何よりも気になる時期だった。
そのモデルさんの体と、自分の体を見くらべる。
「わたしのアバラ骨は、
なんでキレイに浮き出てないの?」
スタイルの良さ、
大人っぽい服が似合うかどうか、
洗練されているかどうか、
自分をコントロールできているかどうか、
理想を追求できているかどうか……
それらすべての憧れの象徴が「アバラ骨」に
なってしまった。
痩せなきゃ、痩せなきゃ……
太るかもしれないものや、
カロリーが高い食べものは、すべて危険なもの。
友達や彼氏との外食みたいに
「食べることへの誘惑が強くなること」も、危ない。
排除、排除……
体重は5kg減った。
体は軽い。
ふわふわするぐらい軽い。
家族や彼氏が心配してくれる。
「大丈夫? 痩せすぎじゃない?」
それも、最初は誉め言葉のように聞こえた。
成果が出はじめてる証拠だから。
でも、
こんなに頑張っても、
「あの子みたいに、キレイなアバラ骨」には、ならない。
痩せなきゃ、もっと痩せなきゃ……
そのジャマになるものは、
排除、排除……
食の楽しみどころか、
食自体を否定し続けた結果、
彼女は、拒食症になった。
気力が失せ、体力が落ち、何もやる気が出ない。
目は落ちくぼみ、足は枯れ枝のようになり、
常に顔色が悪く、声は小さく、か細い。
彼女の魅力そのものが、痩せ細ってしまった。
「それでもアバラ骨が、あの子みたいにならない」
そんなあるとき、
突然の貧血。
転倒。
顔をぶつけた。
怖い。
私の顔はどうなった?
あとが残るようだったら、どうしよう!
鏡をみる。
おでこの横に大きなキズがある。
じわじわと血がにじんで、流れる。
青白い顔に、赤色がさす。
キズはたぶん、大丈夫。
後には残らない。
でも……
あれ……?
私の顔、こんなんだっけ?
「モデルどころか、重病人みたい」
――そうやって、
彼女の過剰なダイエット行為は、止まった。
後から振り返れば、わかる。
5kg痩せた時点でも、もうやり過ぎだった。
本当にバランスがよくて魅力的なのは、
4kg痩せたぐらいのときだった。
でも、止まれなかった。
いま考えたら本当に狂っていたとしか思えないけど、
あのときの私は、アバラ骨ばかりを見ていた。
そのせいで、
病人のように変わっていく自分に気づけなかった……
これは、
楽ゆる整体に通っていたある女性の、実話です。
今、彼女は健康を取りもどし、すごく元氣になりました。
もともとかなりの美人さんですが、
ダイエットにのめり込んでいた時期よりも、
今のほうが遥かに魅力的です。
目元の口元のきつさや、エラの張りも、すっかり消えました。
(自罰的な人は、力みが抜けないせいでよく「そう」なります)
とても極端に見える、怖いお話。
でも、ぼくらだって、
一歩「注目するところを間違う」と、
彼女のようになってしまいます。
(もしかしたら、今もそうなってしまっているかも)
そういうリスクを、誰もが抱えている。
じゃあ、彼女の例から、
何を教訓として理解しておけば、いいか。
「現実のすべては、歪んで見えている」
「誰の目にも共通して見える世界なんて無い」
「世界は捉えかたや考えかた次第……どころか、
注目するポイントだけで、その姿を変える」
「世界そのものより〝世界観〟のほうが、
個人の人生を大きく左右してしまう」
そういうことを、
厳しくはっきりと、覚えておきたいと思うんです。
もしかしたら、
不幸な世界があるわけじゃなく、
不幸な世界観があるだけなのかも知れない。
仕事がうまくいかない(としか思えない)のは、
うまくいかないような仕事観のせいかも知れない。
人間関係が辛く苦しい(としか思えない)のは、
辛く苦しいような人間観のせいかも知れない。
世界や環境や他人が悪いわけでもなく、
あなたが悪いわけでもなく、
ただ「変なポイントばかり見てる」のかも……
「アバラ骨」しか、
目に入ってないのかも知れない。
うまく行かないものであればあるほど、
そういった「認知のゆがみ」が、起きていたりします。
(というか、認知がゆがんでいるからこそ、
どうしてもうまく行かない状態になる)
拒食症になった彼女のお話を通して、
その恐ろしさだけでも、覚えておきましょう。
健康も美容も、
もちろんめっっっっっっっっちゃくちゃ大事です。
それでも、目的ではありません。
「手段」でしかないんだからね。
「それを通して何を得たいか」
のほうが、はるかにずっと、大事です。
最後に、まとめとして。
自分の世界(観)のゆがみに気づくサインを
言葉にするなら……
「○○さえ変わればいいのに」
かな。
もしこんな考えが心にあったら、
もう、まともに物事が見られなくなっています。
たとえば……
骨盤さえ変われば、健康になれるはず。
投資の知識さえ得られたら、お金持ちになれるはず。
あの部長さえいなければ、職場は天国なはず。
あの政治家さえいなければ、もっといい国になるはず。
アバラ骨さえ浮き出ていれば、もっと魅力的になれるはず。
……などなど。
大きな、大切なことであればあるほど、
たった1つの原因で成り立っては、いません。
そう誤解しちゃうときは、
問題は外じゃなくて、中。
〝思考のせまさ〟のほうに、あるんでしょうね。
ではでは、今日もお大事に。
「視野を広げよう」と考えるより、
「1人では視野なんて広がらない」とわきまえるほうが
有効なんだと思います。